- ロックとメタルの『名盤』
- 『名盤』と呼ばれる代表作をレコーディングした時の年齢
- AC / DC「Back inBlack(バック・イン・ブラック)」(25〜32歳)
- ブラック・サバス「Black Sabbath(ブラック・サバス)」(20〜21歳)
- ニルヴァーナ(カート・コバーン)「Nevermind(ネヴァーマインド)」(23歳)
- ウィーザー(リヴァース・クオモ)「Weezer(ブルーアルバム)」(23歳)
- ジューダス・プリースト(ロブ・ハルフォード)「Screaming for Vengeance (復讐の叫び)」(30歳)
- ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス「Are You Experienced(アー・ユー・エクスペリエンスト?)」(23歳)
- メタリカ「Master of Puppets(メタル・マスター)」(21〜23歳)
- デフトーンズ(チノ・モレノ)「White Pony(ホワイト・ポニー)」(26歳)
- メガデス(デイヴ・ムステイン)「Rust in Peace(ラスト・イン・ピース)」(28歳)
- スリップノット(コリィ・テイラー)「IOWA(アイオワ)」(27歳)
- エヴァン・ヘイレン(ディ・ヴァン・ヘイレン)「Van Halen(炎の導火線)」(22歳)
ロックとメタルの『名盤』
ロックやメタルの名曲は、年齢に関わらず生み出す事ができる。そのミュージシャンがまだ音楽の旅を始めたばかりであろうと、しばらく道を進んだ後であろうと関係ない。
あなたはお気に入りのミュージシャンが代表作をレコーディングした時の年齢を知っているだろうか?
その年齢層は実に様々で、早ければ10代前半にミュージシャンとしてのピークを迎える者もいれば、何年もの間日の目を見ずに技術を磨き続けた成熟者もいる。
シルヴァー・チェアーがデビュー・アルバムをレコーディングした時、まだメンバーが14歳だった。メガデスがラスト・イン・ピースを解き放ったとき、デイヴ・ムステインは何歳だっただろう?
以下では、様々なアーティストとバンドが、その後『名盤』と呼ばれる代表作をリリースした時の年齢を見ていく。
『名盤』と呼ばれる代表作をレコーディングした時の年齢
AC / DC「Back inBlack(バック・イン・ブラック)」(25〜32歳)
AC / DCは代表作である「Back inBlack」を1980年にリリースするまでに、すでに数枚のアルバムをリリースし人気バンドとしての地位を得ていた。
リリース時、歌手のブライアン・ジョンソンは32歳、ギターのアンガス・ヤングは25歳、アンガスの兄でありサイド・ギターのマルコム・ヤングは27歳だった。リズム隊であるベースのクリフ・ウィリアムズとドラマーのフィル・ラッドはそれぞれ30歳と26歳。 その頂から40年経った今でも、バンドは力強く成長している。彼らは2020年にカムバックLP「Power Up」をリリース。2017年、マルコムの死後は、甥であるスティーヴィー・ヤングが、マルコムに代わってサイドギターを弾いている。
ブラック・サバス「Black Sabbath(ブラック・サバス)」(20〜21歳)
ブラック・サバスが1970年にリリースしたデビューアルバム「Black Sabbath(ブラック・サバス)」は常にヘヴィ・メタルの原点であり、その伝説は年を追うごとに成長している。1969年10月、バンド・メンバーがレコーディングしたとき、彼らは驚くほど若かった。ヴォーカルのオジー・オズボーンとベーシストのギーザー・バトラーはそれぞれ20歳、ギタリストのトニー・アイオミとドラマーのビル・ワードはどちらも21歳だった。
ニルヴァーナ(カート・コバーン)「Nevermind(ネヴァーマインド)」(23歳)
カート・コバーンがニルヴァーナのサード・アルバム「Nevermind」収録の代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のアイデアを最初に思いついた1990年の夏、彼は23歳だった。その荒々しいヴォーカルと轟くギター、力強いドラムはグランジ・サウンドを決定づけ、その後到来するオルタナティブ・ロックにも大きな影響を及ぼした。ドラムのデイブ・グロール(現フー・ファイターズのフロントマン)は当時21歳。
関連記事⇒「【歌詞和訳】Nirvana / Smells Like Teen Spirit | ニルヴァーナ / スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」
ウィーザー(リヴァース・クオモ)「Weezer(ブルーアルバム)」(23歳)
ウィーザーのセルフ・タイトル・デビュー(通称ブルーアルバム)がリリースされた1994年の春、リーダーであるリヴァース・クオモは23歳だった。当時、80年代に一世を風靡したヘア・メタルが終焉。彼が新たに提示した音楽は、まさにその時代の変化を示している。メタル・ヘッズ(メタラー)であった彼が眼鏡をかけてオルタナティブ・ロックをプレイする自分を再発見した時、彼はこう言ったことだろう「ooh-wee-ooh」。
ジューダス・プリースト(ロブ・ハルフォード)「Screaming for Vengeance (復讐の叫び)」(30歳)
ジューダス・プリーストのヴォーカル、ロブ・ハルフォードは、1982年に「Screaming for Vengeance (復讐の叫び)」をリリースした時、30歳だった。その後の彼のキャリアを考えると、30歳という年齢はまだかなり若が、アルバムはジューダス・プリーストとしては8番目の作品。つまり1974年、ロッカ・ローラでデビューした彼はまだ22歳だった。
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス「Are You Experienced(アー・ユー・エクスペリエンスト?)」(23歳)
燃えるギターでバンドをリードするレジェンド・ショーマン、ジミ・ヘンドリックスが1967年「Are You Experienced」をレコーディングした時、彼は23歳だった。ほとんどのロック・リスナーがジミ・ヘンドリックスを「ベテラン・ミュージシャン」と勘違いしたことだろう。その後50年経った今でも、史上最高のギター・アルバムの1つとして「Are You Experienced」の名前を上げるミュージシャンは多い。
メタリカ「Master of Puppets(メタル・マスター)」(21〜23歳)
20代前半のメタル・バンドが、メタル界における「スキル・マスター(演奏技術熟練者)」であることは考えにくい。しかし、メタリカ「Master of Puppets」は、彼らが若くして高い技術を身に着けていたことを証明している。メタリカが1985年にアルバムのレコーディングを開始したとき、フロントマンのジェイムズ・ヘットフィールドとギタリストのカーク・ハメットは22歳。ドラムのラーズ・ウルリッヒは21歳、ベーシストのクリフ・バートンは23歳だった。今では正真正銘の『メタル・クラシック』である「Master of Puppets」は、当時よりも強い輝きを放っている。
デフトーンズ(チノ・モレノ)「White Pony(ホワイト・ポニー)」(26歳)
北カリフォルニアのロッカーが2000年代のホワイトポニーを録音したとき、デフトーンズのボーカリスト、チノ・モレノは26歳でだった。しかし、グループは何年もの間、オルタナティヴ・メタルのスポット・ライトの元で、成功を掴み取るための準備をしていた。モレノがギタリストのスティーブン・カーペンターとドラマーのエイブ・カニンガムと一緒にバンドを始めたのは1988年、彼らはまだ15歳だった。1995年にデビュー作「アドレナリン」をリリースした時、モレノは22歳。現在、フロントマンは47歳で、デフトーンズは9枚目のアルバムをリリースししている。最近のアルバムは2020年秋のスタジオアルバム「オームズ」。
メガデス(デイヴ・ムステイン)「Rust in Peace(ラスト・イン・ピース)」(28歳)
アラサーだからといってメタル・アルバムを録音できないわけではない。90年代の初頭、メガデスがスラッシュ・メタルの名盤である「Rust in Peace」を作成した時、デイヴ・ムステインは28歳。1990年9月に同アルバムがリリースされる直前に29歳になった。彼のバンド・メイトは彼よりも少し年下。ギタリストのマーティ・フリードマンは27歳、ドラマーのニック・メンザは26歳、ベーシストのデイヴィッド・エレフソンは25歳だった(最年少のエレフソンはムステインに「ジュニア」と呼ばれていた)
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スリップノット(コリィ・テイラー)「IOWA(アイオワ)」(27歳)
スリップ・ノットのリードヴォーカルであるコリィ・テイラーは、金属とレザー製のマスクを被った「盗賊団」として「アイオワ」をリリースした当時、27歳だっあ。「アイオワ」とスリップ・ノットの登場は、またたく間にヘヴィ・ミュージックのリスナーの間での伝説的な地位へと上り詰めた。テイラーは現在47歳だが、彼はまだ多くの若いパフォーマーを打ち負かすエネルギーに満ちている。
エヴァン・ヘイレン(ディ・ヴァン・ヘイレン)「Van Halen(炎の導火線)」(22歳)
ヘヴィ・ミュージックに最も影響力あるギター・ソロを作曲したギタリストは誰か? ヴァン・ヘイレンのギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンだろう。彼は1978年リリースのデビュー・アルバム「ヴァン・ヘイレン」のトラック2「Eruption」を録音したとき、22歳だった。彼がレコードに吹き込んだ爆発的なギターのパワーは、全てのシュレッダー(速弾きギタリスト)のレベルを一気に押し上げた。2020年に65歳で永眠。
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